こちらは、余市町水産試験場の駐車場の一角に碑がありました。 小説家で、官職である電信技師として北海道余市に赴任していたそうです。
幸田露伴は、明治24年から約2年間当時の下谷区谷中天王寺町に住んでおりました。ここから銀杏横丁を歩くと天王寺五重の塔がありました。
句碑の向こうは駐車場なのですが雪のちらちら降っている中で訪れると 黒いような群青色の日本海をバックにしてなかなか風情がありました。 夕方だともっときれいなのかな。
記念碑は水産試験場の駐車場の一角にひっそりと設置されています。管理棟などはなく、駐車場にも自由に出入りできるので、気軽に見学できます。近くに沢町郵便局があり、そこが幸田露伴の赴任地だったとのことです。でも、役人生活は合わなかったのでしょう。やがて余市を離れ、東京で文壇を道を目指します。
国道229と道々228が交わる地点から海岸へ向かうと、道立水産試験場敷地の一隔に、明治の文豪幸田露伴の句碑が建っています。 露伴が電信技士として余市に赴任していた2年間を記念し、自身の筆跡による著作「突貫紀行」の冒頭部分を綴った句が刻まれています。 露伴は勤務途中で苦悩し、苦労して上京後文筆生活に入ることとなった心情が謳われており、日本海の波音を聴きながら、若き日の青年の文学への情熱に想いを馳...
小説家
こちらは、余市町水産試験場の駐車場の一角に碑がありました。 小説家で、官職である電信技師として北海道余市に赴任していたそうです。
明治24年から2年
幸田露伴は、明治24年から約2年間当時の下谷区谷中天王寺町に住んでおりました。ここから銀杏横丁を歩くと天王寺五重の塔がありました。
雪の中だと雰囲気があります
句碑の向こうは駐車場なのですが雪のちらちら降っている中で訪れると 黒いような群青色の日本海をバックにしてなかなか風情がありました。 夕方だともっときれいなのかな。
駐車場の一角に
記念碑は水産試験場の駐車場の一角にひっそりと設置されています。管理棟などはなく、駐車場にも自由に出入りできるので、気軽に見学できます。近くに沢町郵便局があり、そこが幸田露伴の赴任地だったとのことです。でも、役人生活は合わなかったのでしょう。やがて余市を離れ、東京で文壇を道を目指します。
若き日の文豪に想いを
国道229と道々228が交わる地点から海岸へ向かうと、道立水産試験場敷地の一隔に、明治の文豪幸田露伴の句碑が建っています。 露伴が電信技士として余市に赴任していた2年間を記念し、自身の筆跡による著作「突貫紀行」の冒頭部分を綴った句が刻まれています。 露伴は勤務途中で苦悩し、苦労して上京後文筆生活に入ることとなった心情が謳われており、日本海の波音を聴きながら、若き日の青年の文学への情熱に想いを馳...