地図を見ると駅から少し離れていると思ったのですが、実際に訪れると徒歩で数分の場所でした。週末の昼下がりに参拝したところ境内は静かで、観光客や地元の参拝者も僅かでした。
紀伊田辺駅から徒歩5分ほど。 允恭天皇8年(419年)に熊野権現(現熊野本宮大社)を勧請して創建。祭神は伊邪那美命。源平合戦の際、双方から援軍を要請された熊野水軍の統率者で21代熊野別当の湛増(武蔵坊弁慶の父と伝わる)が、どちらに味方をするか決めるため本殿前で紅白7羽の鶏を闘わせたのが社名の由来。境内には「湛増弁慶の像」が立つ。 拝殿は木造銅板葺き。祭神を祀る6棟の社殿は国重要文化財。本殿は1...
闘鶏神社の「鶏」の字は正しくは「雞」。熊野の入り口にある熊野三山の別宮的神社。社伝によると允恭天皇8年(419年)創建とありますが、『紀伊続風土記』には、熊野別当18代 湛快のときに熊野三所権現を勧請したと記されています。『権現さん』と呼ばれている。 熊野三山の別宮的な場所で、ここから本宮への中辺路は山中の道になるので、この宮に参詣し、三山を遥拝して引き返す人々もいたようです。 神木の大楠...
普段は静かな神社⛩
地図を見ると駅から少し離れていると思ったのですが、実際に訪れると徒歩で数分の場所でした。週末の昼下がりに参拝したところ境内は静かで、観光客や地元の参拝者も僅かでした。
普段は静かな神社⛩
地図を見ると駅から少し離れていると思ったのですが、実際に訪れると徒歩で数分の場所でした。週末の昼下がりに参拝したところ境内は静かで、観光客や地元の参拝者も僅かでした。
本殿など6棟は国重要文化財
紀伊田辺駅から徒歩5分ほど。 允恭天皇8年(419年)に熊野権現(現熊野本宮大社)を勧請して創建。祭神は伊邪那美命。源平合戦の際、双方から援軍を要請された熊野水軍の統率者で21代熊野別当の湛増(武蔵坊弁慶の父と伝わる)が、どちらに味方をするか決めるため本殿前で紅白7羽の鶏を闘わせたのが社名の由来。境内には「湛増弁慶の像」が立つ。 拝殿は木造銅板葺き。祭神を祀る6棟の社殿は国重要文化財。本殿は1...
本殿など6棟は国重要文化財
紀伊田辺駅から徒歩5分ほど。 允恭天皇8年(419年)に熊野権現(現熊野本宮大社)を勧請して創建。祭神は伊邪那美命。源平合戦の際、双方から援軍を要請された熊野水軍の統率者で21代熊野別当の湛増(武蔵坊弁慶の父と伝わる)が、どちらに味方をするか決めるため本殿前で紅白7羽の鶏を闘わせたのが社名の由来。境内には「湛増弁慶の像」が立つ。 拝殿は木造銅板葺き。祭神を祀る6棟の社殿は国重要文化財。本殿は1...
ここで、熊野詣での無事を祈って、スタートします。
闘鶏神社の「鶏」の字は正しくは「雞」。熊野の入り口にある熊野三山の別宮的神社。社伝によると允恭天皇8年(419年)創建とありますが、『紀伊続風土記』には、熊野別当18代 湛快のときに熊野三所権現を勧請したと記されています。『権現さん』と呼ばれている。 熊野三山の別宮的な場所で、ここから本宮への中辺路は山中の道になるので、この宮に参詣し、三山を遥拝して引き返す人々もいたようです。 神木の大楠...