廣誠院(こうせいいん)木屋町を流れる高瀬川に面して建つ廣誠院。この辺りは明治の初めまで長州藩の屋敷のあったところで、廣誠院の建物は、明治25年(1892)伊集院兼常の屋敷としてつくられたものです。兼常は、鹿児島県の門閥の出身で、明治維新後、官僚や軍人を経て実業家として活躍しました。その後屋敷は所有者が変わり、昭和7年に庫裏や仏堂が建てられ、27年臨済宗の寺院・廣誠院となりました。書院・茶室・広間などからなる建物は庭園に面して配置され、柱に面皮柱を用いるなど、全体に数寄屋風の意匠でまとめられています。一部が改造されているものの、明治期の優れた数寄屋邸宅として貴重な建物で、京都市有形文化財に指定されています。(一部指定対象外)また、伊集院の指示の下に築造された庭園は、園池の水を高瀬川から取水し、再び元の川へ戻すというこの地域特有の庭園形態を残しています。庭園と建物は見事に融和しており、庭園も京都市名勝に指定されています。
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廣誠院(こうせいいん)木屋町を流れる高瀬川に面して建つ廣誠院。この辺りは明治の初めまで長州藩の屋敷のあったところで、廣誠院の建物は、明治25年(1892)伊集院兼常の屋敷としてつくられたものです。兼常は、鹿児島県の門閥の出身で、明治維新後、官僚や軍人を経て実業家として活躍しました。その後屋敷は所有者が変わり、昭和7年に庫裏や仏堂が建てられ、27年臨済宗の寺院・廣誠院となりました。書院・茶室・広間などからなる建物は庭園に面して配置され、柱に面皮柱を用いるなど、全体に数寄屋風の意匠でまとめられています。一部が改造されているものの、明治期の優れた数寄屋邸宅として貴重な建物で、京都市有形文化財に指定されています。(一部指定対象外)また、伊集院の指示の下に築造された庭園は、園池の水を高瀬川から取水し、再び元の川へ戻すというこの地域特有の庭園形態を残しています。庭園と建物は見事に融和しており、庭園も京都市名勝に指定されています。
非常小的一个寺庙,但是香火很旺盛,每年都有很多游客从很远的地方跑过来祭拜,旁边还有很不错的小餐厅。
寺庙不算大,但是来进香祈福的人可不少呢,附近有家咖啡店,咖啡很不错
很小的寺庙,周围种满了樱花,很漂亮,前来祈福的人很多,香火很旺
心诚院,传统的日式庭院,小巧精致,很幽静,别有意境。